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じゅごんの見物日記

アナログな日記帳だとがたまる一方なのでブログで日記書くことにしました。

アンドレアス・グルスキー

気になった記事をメモ。
なるほど何がすごいのか意味がわからなかったけど、この記事を読んで
グルスキートいう写真家の凄さ?がちょっとわかった。


しかし説明を読まないで作品だけ見たら
「・・・・え?で??」
と言ってしましそうな私がいる。

芸術作品を評価できる人はすごいな。
いや勝手に評価してその考え方をうまくプレゼンしたのか。
それともその作家自体がうまくプレゼンをして批評家に思い通り
評価させようと図ったのか・・・・世の中は謎だ。

yadokari.net

やさしいうそ

よく 言われる。

「とても優しい、怒らなくておだやかで、とても優しい癒し系だね」

昔からよく言われる言葉。

わたしの体が大きくて 口調がゆっくりして
批判したりしないからそう思われているのだろう。

 

しかし

内心、
「めんどくさいなあ、なんて断ろう。
なんでいつもしつこく誘うんだろう・・・・
理由考えるのが面倒だなあ」


とおもっているのが わたしなのだけど。

相手は、その優柔不断なわたしの心を知ってかしらずか

まるで学級の標語を読み上げるように、そのまま

やさしいね やさしいね という。

あなたがそれでいいのなら いいけれど。
わたしの心の真実を言ったとろで 良くはないので言わ無いけど。

でも そういったことって世の中いっぱいあるんだろうな。

わたしも あなたも 知っている嘘を同時につくとかね。

ではでは




 

ピーク設定を移動させないといけないという気づき

自分のやりたいことって なんだろう??
暇なのでよくそういうことを考える。

しかし色々理想を考えあぐねていたところで
高校生とか 大学生の頃ほどの自由さをもって

やりたいことを考えられていない自分がいる。


なぜ自由にかんがえられないのだろう?


問題提起しておきながら、今気づいた。
恐らく「今の年齢を人生のピークにしたいから」なのだろう。

 

学生の時は「30~40歳がピーク」だ と思うからこそ

自由にアレしたいコレしたい その年齢までにはこうしたい!とかあった。

 

しかし 今現在 自分が実際そのピークだと思っていた30~40歳であると

「ピークは今だ!だからすぐに結果を出さねば・・・」になるのだ。


なるほど。なるほどなるほど。

今初めて なぜ自由にやりたいことが思い浮かばないのかを言語化したが

やはり言語化すると 自分で自分がわかる。
昔設定した 「自分のピーク設定」に完全にはまっていたとは・・・・
設定の更新をし忘れているのだ!なんてことだ。

設定にもうすでにズレが出ている

しかもすぐ結果の出るやりたいことなんてなかなか難しい

だからこそ、やりたいことがうまく見つからない。

 

自分が長年やってきたことにつながっているならまだしも、

これといってなんの経験もないことをいきなり結果出せるレベルにするのは

かなり難しいだろう。というかそんなのものは無い。


思い起こせば
昔望んでいたこと通りで無いとしても、結構叶っている「夢」はおおい。
色々な見キラキラ代表格の人といちいちなぜか比べるから
「あ〜だめだ〜」とか思ったりするが
よくよく考えれば、そもそも分野が違う人と自分を比べたりする。
・・・・なぜ自分を凹ませようとしているのか・・・・。

自分でも少し謎だ・・・・悩みぶりたいのだろうか・・・。

自分追い込みの謎は 端に置いておいて

ともあれ やりたいことを自由に考えたい。

 

なので「自分のピーク設定」を更新しようともう。

現年齢の固定観念が邪魔してしまって難しくはあるが

学生の頃(18歳)の自分から見た 30代をイメージするように
学生のような視点にちょっと返って
10年後、自分は何に生きがいを感じて、どのようなこだわりを持って

どのような人たちと仲間でいたいのだろうか。

・・・・・
アラフィフあたりの知り合いが全くい無いので
ロールモデルがいなく 色々想像しずらい。

なるほど、わたしは人見知りなので
人に会うのが面倒だったりしてしまうのだが

ロールモデルを探すために人に会うのはいいのだろ思った。

 

今年は、、、、色々な人とお話しよう!!
あ〜〜〜めんどくさいめんどくさい 家でずっと動画見たり本見たり
気の知れた友人とおしゃべりしてたい・・・・

けどそれだとロールモデルが見つから無い!

なので頑張って色々な年上の人の
お話を聞こう。



今年は出不精をちょっと克服して
他の人の話題にも耳を傾けていこうかな。


ちょっと前向きな日記で非常に良い!
ではでは 

 

 

 

 

恋愛IQ

いい年になると つい先日の日記でも書いたたように

久々に会う友人には自分の恋愛事情を聞かれる。

そして私は常にその手の話題は持ち合わせがないので

「ないよ〜」

と一応残念そうな表情を作る。

 

そうすると大体

「なぜ彼氏つくらないの?」「欲しくないの?どうして?」

と、『理由』を聞かれる。

 

この理由が曲者なのだ。殊に私にとってはだが。

 

返答1;

私「う〜ん、いい人がいないんだよねえ」
友人「そうなの?じゃあこんどオススメの人紹介するよ!」

私「え・・・(めんどくせえなあ もう紹介とか精神消耗するのに・・・)」

返答2;

私「う〜ん、まだいいかな〜って」

友人「なにいっているの?!今が一番若いんだよ!今ですら遅いのにちゃんとしないとだめだよ!」

私「う・・・(何の権限があってお前そんなに私に言ってくるんだよ・・?!)」

 

返答3;

私「わたしあまりきれいじゃないからさ、仕方がないのかもね」

友人「だって性格とか可愛いよ?!」
私「な・・・(なんで外見に対する自虐にフォロー入れないんだよ!認めるなよ!)」

 

そして最近開発した返答4;

私「私そういうのができないように設計されて生まれてきたんだと思うな」

友人「・・・そっかあ・・・」

私「・・・・(妙な空気だからここで話題を相手に振るしかねえ)」

 

この返答4のセリフ。相手も痛ましいと思うのかあまり自分の価値観をぶつけてくるようなことは言わなくなる。

もちろんこちらもそれなりに「虚しさ」というダメージは食らうのだが

これ以上根掘り葉掘り理由を聞かれるよりマシだ。

 

そもそもはっきり言って理由なんてない。

みんないちいち理由を聞きたがりすぎなんです。稟議書ですか?あなたは・・・!

わたしとしても ついつい理由を言わないと相手に悪いな という

意味のわからない気遣いによって無駄に理由をつけるのだ。

だいたいもう理由なんてなんでもいいんです。

暑かったから 寒かったから 日本だから 世界だから 地球だから・・・

理由は全部でもないし 全部でもある。

そしてその理由だって知ったところで何をしたいんだよ?!と思ったりするのだ。

 

そもそもみんな得意不得意なんていっぱいあるんじゃないか。 
数学が得意な人がいれば国語が苦手な人もいる

物理が得意な人がいれば 恋愛が苦手な人がいる

はしるのが得意な人がいれば 美術が苦手な人がいる。
そう、もう全て並列に並べれば 当たり前のこと。
恋愛だけ特別視するから変に理由が必要になるのだ。

・・・と 友人に言いたいけど頭おかしいと思われるから

まあ言えない。

そこで開発したのが「恋愛IQ」。

知能テストであるIQと同じで、持ち合わせる恋愛能力をもう証明してしまえば理由なんてそんなに用意しなくていいのだ。

だって例えばあまり偏差値が芳しくない大学に行った友人に
「なんでそんな大学行ったの?!」ときくひとはそうそういないだろう。

「自分のあたまがわるいからだよ!」と答えさせるような奴とはもう会わないほうがいい。

 

そうなると新たな返答5ができる

友人「なんで彼氏できないの〜?!」

私「ああ・・・恋愛IQがちょっと・・・ね・・・」

友人「あ・・・、へえ・・・あ、でさ〜!話は変わるけど・・・」


どちらにせよ何か一種の「虚しさ」は残るがまあいい。

 

 

・・・・気づくと やはり自分の日記には

恋愛や結婚についてのことがおおいな と思う。

これは、それが「ない」から多く考えるのだろう。

(適齢期を過ぎたのに独身というマイノリティさも原因でもあるが)

 

そういえばオスカーワイルドだかだれかが

「お金のことばかり考えているのは、お金のない人だ」みたいな名言を

残していたような。

同様に「恋愛のことばかり考えているのは、恋がないからだ」といえる。

まさに。

日記は愚痴の書き並べだ。

この愚痴や こじれた性格や 面倒な思考とか色々なものが

いつかわたしの人生の中で愛すべき一つになりますように。

そういう風に思ったりもするのであった。


ではでは、ここらで。

 

 

 

 

 

 

 

《真摯さ》ってなんなんだろう

恋愛IQの話の前に

今日の朝方、ある小説で涙して「真摯さ」というものを

何か強く感じたので、メモしておきたい。


朝方読み終えた作家さんの名前は村田沙耶香さん。

この方は ちょっと前の芥川賞を「コンビニ人間」で受賞されたかただ。 

私は小説を滅多に読まないので、そういう賞の情報でしか作家さんを知ることはない。

でも その賞きっかけで彼女の本を読もうと思ったわけではなかった。

 

正月に、BS「ご本だしときますね」という番組にこの村田さんが出ていた。

いろいろな作家とオードリーの若林が集うトークバラエティだ。

いろいろな作家さんとお話をしている村田さんはちょっと変わったオーラを持った人で

発言することもちょっと妙で、

発言するたびに周りがちょっと不思議な空気になる。

 

私は根っからの僻み屋なので それをみて

「あ〜〜注目されようと思って、変なこと言って〜〜〜〜めだちだがりやだな〜」
と軽く笑っていたのだった。

 

その後本屋で「コンビニ人間」が平積みされているのをみて

「あ、あの女の人のか。どんな内容書く人なんだろう」と

半ばひやかしながらあらすじを見た。

 

あらすじを見るや否や、わたしはそれを すぐにレジに持って行った。

家帰ったらすぐ読もう!!と思って急いで家にかえる。

 

家に着くと一気に読んだ。

本はもともと文字を読むのが面倒できらいなのだが一気に読めた。

 

私はいつもビジネス書は読むが小説は読まない主義だった。

だって役に立たないから。

ビジネス書は方法がいっぱい載っている。

たとえその方法を実際にできていないとしても

知ったというだけで 自分はちょっとすごく頭が良くなったような気がしていた。

言いたいことも「7つのルール」とか「44の法則」とか数が決まっていて明確。

読む意味があるのは啓発本だけだろうとおもって

人の心情をずっと書き続ける小説に「読む意味」をみいだせなくて全く読まなかった。

 

でもこの日、本屋で買って勢いよく読み終えた本はちょっと自分の中の感情が違って

「あ!わたしだ!わたしがなやんでいることだ!」

と、強い共感を感じた。


自分の真意なんて人に言えない。

でもこの本を読んだときに「わたしみたいにひといるんだ!」とおもって

自分のことのように必死に読んだのだ。

 

もしかして・・・小説って面白いのかもしれないと思わせてくれた一冊。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

 

 

 

この本を読んでからもうちょっとこの村田さんの書く女子に共感を持ちたくて

共感どころを探したくて さがしたのが

今日 明け方まで一気に読んだこちらの作品だ。

 

 

 

本で泣くなんてほぼないのだけど

すごく泣ける本だった。

あらすじの過激そうな雰囲気が気になって買ったが

過激な内容とかそういうのではなくて、すごく気持ちがわかるお話で、

自分が中学生のときによめていたらいいのにと思った。

 

朝方読み終えてからお話そのものに感動もした上に

これを書いた村田さん自身にもすごく感動した。

この本をずっと書いていたなんて、こんな心を抉られるような心情を書き続けるのって

本当に辛かっただろうな、痛かったんじゃないのかな・・と思うと涙が出た。

なんだか 村田さんが痛みで叫びながら切り落とした自分の肉片みたいなものを

見せつけられたような感じがするくらい 生々しく 切ない内容だった。

 

その生々しい切なさとか認めたくない卑怯な心とかそういったものを

適当に流すとこなく 覚悟して受け止めて凝視して丁寧に丁寧に書いている感じ、

そこで 『真摯さ』というものをすごくおもった。

 

真摯さってなんなんだろう。

どうしてわたしには真摯さがないのだろう。

すべてから逃げているからだろうか?でも逃げるべき何かもないような気すらする。

真摯さってなんなんだろう。なにを受け入れればいいのだろう。

 

朝方 この本を読み終えてからしばらく考えていた。

毎日心にぽっかり穴が空いているような、

ゆっくりと物体としての自分の消滅をただただ感じて生きていくような

毎日そんな枯れたような心になっているのは真摯さがないのかもしれない。

 

姑息さのない 真摯さをもったひとに私はなりたい。

 

 

ではでは。

 

恋愛IQ~序章~

女たちがあつまってだいたい聞くセリフといえば

「最近どう〜〜〜?彼氏できた?」

だ。 しかも、上目遣いに聞いてくる。

 

この質問には 私としても長年疑問だった。

なんでいつもこの質問してくるのだろう?
自分のことを話したいけど、あえて他に探りを入れる振りをしているのかな?とか。

人のゴシップネタに食いつきたいのかな?とか・・・色々思った。

しかし最近

「あ、そうか。」とおもった。

 

要は、《これといって、話たいことも話題もない》のであろうと。

 

このことは学生時代、比較的よく遊んだ友人で、

社会人になってしばらく会わないような微妙な関係性の友人と久々に会うと

身を以てよくわかる。

 

ーーーーーーーあ・・・やばい。学生の頃は仲良かったけど、

もうお互い共通認識していることもないし、話すことがない。

 

 

そう、共通点がないのである。

 

 

以前は、結婚して子供もいる友人に

「最近どう?彼氏できた?」とか聞いてくることに

逐一イライラしてたいのだが、

最近この真実に気づいてからは「向こうも仕方がなくきいてきているんだな」

と比較的快く受け取れるようになってきた。大人でしょう?

 

学生の時はあんなに仲良くて、

お酒なんか飲まなくても腹筋が割れるほどおかしくて

笑いあった女友達も

夫&子持ちと独身とではもう笑いの観点がずれ始めてしまっていて、

一緒に笑って欲しかった笑いも共有できなくなってしまうのだ。

 

私は友人が結婚、出産すると、

「また同じ笑いが共有できる人が減っちゃったな。。」

と悲しく感じることも事実である。

相手にそんなこと言ったら怒られそうだから言わないが、

本当にそこはとてもかなしい。

 

心理学を勉強している知人に聞くと、女にはステージがあるのだという。

記憶は曖昧だが、

確か20代後半までは「自己実現のステージ」。

30代近辺からは「自分ではなく子供を中心とするステージ」

に上がる(べき?)らしくて

そのステージを踏み外すと大体の女は悩み苦しむという。

そして当然のようにそのステージによって悩みも楽しみ方もかわるのだ。

女はステージによって友人を変えざるを得ないという。

 

このステージのことも含めて最近よく思うのだが

時折聞くこの質問

「男と女の友情ってありえるとおもう?!」
きましたこれ あるある質問だ。


この質問のあとは枕詞のように

「私はないと思うんだ〜 男とは絶対恋愛関係になってしまうもの」だ。

そんなことはどうでもいい。好きにすればいいじゃない。

 

そもそも私は

《女同士の友情》が確かにあるとは思えないな、とおもっている。

 

こういうと、寂しい人だと思われそうだが、

家庭を持ったら友人のことはにの次になるのは当然だし

女は共感を元に仲良くなったっり、話が弾んだりする人種なので

ステージが異なれば、すでに友情は終焉を迎えているのだと思うのだ。

(まあ大人としての《責任としての友情みたいなもの》は残ると思うけど)

 

これで男友達との友情もないとしたら、なんだか寂しいが。。。

でも、なんだか寂しい状態が人間なのだ、としたらそうなのかもしれないと

諦めもつくかもしれない。

寂しさを紛らわそうとたくさんの人にたくさん会おうと
私には誰も侵入できないものね。してきたらそれは洗脳に近いかもしれないけれど。

 

恋愛IQについて 考えたことを書こうと思ったけど
また後日にしよう。

ではでは。

 

 

 

 

傷つかないためには、批評家側になるのが一番というお話

日常会社でよくきくセリフ

「あ〜〜、うんうん◯◯さんはセンスあると思う!いろいろ任せたいんだよね私」

とか
「◯◯さんの顔は私かなり好みなの!付き合うならあの子みたいな感じかな?」
とか


会社では頻繁にきく褒め(?)セリフで、

私はそれを聞く度に妙な違和感を感じていた。

 

そして 注意してみると、たまにそういった類のことを言ったりしていた自分にも気づいたのだ。

そしてやはり違和感。何だろうこの違和感・・・・

ーーーーお前何様の視点で日と判断しているんだ?!ーーー
というツッコミをもう一人の自分にドーンといれられるようなカンジ。

しかし みんなつっこまない。
「うんうんそうだよねえ〜」とかいって同意してくる。

なぜ突っ込まない?!むしろ突っ込んでくれ、「お前が言うな!」とか。

妙な罪悪感にもにた思いが胸の中をざわざわするのだ。

あまつさえ、周りの人たちも同じように批評家めいたセリフを続けてきたりするのだ。


・・・・そうセリフいう違和感をともなったセリフは

だいたいにおいて
仕事がみんなよりできる女子、可愛くて性格の良い女子、マイナスのない出来た女子
(ちなみにどれも同性であるのがミソであるが)に対して

くだされる 勝手な上から目線の判決なのだ。

 

ちなみに自分もたまに言うのでその真意を探ってみた。

お気づきだろうが それはもう
「いいな・・・あのこいいな・・・ずるい・・・世の中不公平だよ!」
という悲しい女の叫びそのもの。


そこを強気になって「私負けてねーし!」とか言えるものなら
とりあえずまあ 覇気があっていいものの

比較されて、嫉妬だらけでもう勝てないと思っている女子の念はねっとりしている。
でもねっとりしているのを自分で認めたくないのだ。

 

だって健やかに自由に比較のないあるがままで生きていきたい。

しかし生きている限り、比較には組み込まれてしまうもの。

地球誕生から生物がここまで進化し生きてこられたのもこの比較が故。

比較がなければ人類なんて誕生しなかったのだ。仕方ない事象、それが比較。

・・・・女子だけでなく多分男もそうだろうけど。


とにかく そんなねっとりした嫉妬に満ちた自分を少しでも浄化される表現が
「うん、あの子はセンスあるとおもうな〜!」
といった『上から目線の勝手に批評してきて、お前は一体何者なんだ?!』的セリフに落としこまれるのです。

これは、聞いたらイラっとするとは思うのですが
結構仕方ないと思います。

 

本人も言った後

得も言えぬ虚しさに胸を鷲掴みにしたい瞬間があると思うから。

 

決して本当に上から目線で言いたいわけじゃない、

ただ 自分を癒してあげたいんです。精一杯なのです。

 

こういった心理を

昨日言っていた山月記の「自尊心」というなれば、そうなのかもしれないです。

自尊心という虎を鎮めるために、みんな傷つきながら自分の良心を素直さを犠牲にしているのです。心が傷ついてしまう。

でもそうしないと 虎になってしまう。

傷だらけになりながら心に住まう「自尊心」という名の虎を見張っているのです。

 

切ないなあ。

切ない。

涙が出てしまう。


そう思うと上から目線の社員がいろいろ色々いっていても

「辛いんだね、大丈夫とはいわない。だってみんなそうなんだから」
といった親近感の持った眼差しで彼女に少しでも親近感をいだける。

 

上から目線な彼女の瞳の奥を見てみよう
虎に怯えながら傷つきながらも強く生きようとしている彼女の姿が見えるかもしれません。

 

とまあ そういう話。



ではではここらで!